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札幌高等裁判所 昭和35年(う)75号 判決 1960年5月09日

被告人 井上美三郎

主文

本件控訴を棄却する。

当審における訴訟費用は被告人の負担とする。

理由

右控訴趣意第一点について

所論は、原判決中罪となるべき事実の項に、被告人が服用した塩酸モルヒネ末の数量につき、四・六五八瓦と記載され、当初四、六五八瓦と記載されていたのを、後に四・六五八瓦と訂正したと読みとれるのであるが、原審裁判官は、原判決言渡の際、右数量を四、六五八瓦と告知したのであるから、たとい原判決が右の如く訂正されているとしても、すでに四、六五八瓦との宣告があつた以上は、これを以つて原審認定の数量と認めざるを得ず、しかも、被告人は、かかる多量の塩酸モルヒネを服用して施用したことはないのであるから、この点で原判決には判決に影響をおよぼす重大な事実誤認があるというのである。よつて按ずるに、原判決中罪となるべき事実の項に塩酸モルヒネ末の数量に関し所論のような記載のあること、および原判決宣告に当つて裁判官が右数量を四、六五八瓦と告知したことは、原判決書および当審で取調べた証人尾崎正の証言に徴し、まことに所論のとおりであるが、原審がこの点の事実認定の資料として採用した原判決挙示の証拠によれば、その数量は四・六五八瓦であつて四、六五八瓦ではあり得ないことが明らかであること、本件起訴状中公訴事実の記載が、・とヽとを区別することなく、・とすべきところもすべてヽと記載している点に鑑みると、起訴状に四、六五八瓦と記載されているのは、四・六五八瓦の趣旨と読みとれることに加えて、およそ強力な麻薬であること一般周知の塩酸モルヒネ末の四、六五八瓦というが如き大量を、原判示の約八箇月の期間内であつたとはいえ、被告人一人がこれを服用して施用したというが如きは、何人も思いもおよばぬことであることが常識上余りにも明白であることを合せ考えると、原審は、右数量について、当初から、塩酸モルヒネ末の数量につき、四・六五八瓦として起訴があつたものとして、審理を進め、前記証拠にもとずいて、その数量をそのように認定したのにもかかわらず、たまたま、不注意にも、原判決書に、これを所論のごとく誤記したことに気付かず、判決言渡に際し、漫然これを四、六五八瓦と読み上げて告知したものであることを看取するに難くない。このことは、もし原審が真に判決宣告の際前記の如く告知した数量を被告人が服用施用したと認定したものとすれば、裁判所におけるこの種犯罪に対する一般量刑の実情に鑑み、原審は恐らく原判決の量刑よりもはるかに重い刑の量定をしたであろうことが、容易に推認されることによつても、これを窺知するに十分である。上叙の如く、判決の告知が一見して明白な誤記に基く余りにも明白な誤読であつて、真実認定した数量が四、六五八瓦ではなくて四・六五八瓦であることが、容易に察知し得られると認め得る限り、その誤記誤読が判決言渡の絶対的要件である主文の朗読に関するものである場合は格別、そうでない本件の場合においては、判決の誤記誤読をした原審裁判官が軽卒のそしりを免れ得ないことはもとより言を俟たないとしても、その誤記ないし誤読をもつて社会通念上看過を許さるべき限度を逸脱するとなし、現実に告知された事実即ち認定された事実であるとして、原判決には判決に影響を及ぼす事実の誤認があつたと断定せねばならないとの所論は、やや揚足とりの嫌いがあり、行き過ぎの感なきを得ないと思量されるので、当裁判所はこれを採用するに躊躇せざるを得ない。論旨は理由がない。

(その余の判決理由は省略する。)

(裁判官 豊川博雅 雨村是夫 中村義正)

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